学生の頃、京都近代美術館にカンディンスキー展を見に行った。美術系の短大に入ってから美術館にもよく行っていたのだけど、抽象画は苦手でどう見ていいのかサッパリ分からなかった。
だからあまり期待をせず出かけて行った。修学旅行生で込み合う館内の中、わたしは一枚の絵の前に釘付けになった。とにかくデカい絵だった。何が描いてあるのかはやっぱり全く分からなかったけど、ただスゲエ!と思った。しばらくその絵の前から動けなかった。
タイトルは何だったか…有名な『空の青』はそこまでデカい絵じゃないから違うし、どんな絵だったのかハッキリと思い出せない。でもあの衝撃だけは覚えている。
帰りに絵はがきを買ったけど、絵はがきではあの迫力は全く伝わってこなかった。
お友達から、娘へのお土産にと絵本を頂いた。
4歳の娘はこの本をとても気に入って、寝る前に何度も眺めている。文章は何もなくて、安野光雅さんの素晴らしい絵だけ…そしてその絵は『だまし絵』になっている。遠近法が狂っていたり、距離がおかしかったり。大人はそういうしかけに気付いて、面白いなぁと思って、娘にも「ほら、こことここがちょっと不思議でしょう?」と言ってみるのだけど、娘は「うん、ふしぎだねー」と返事はするものの、よく理解はしていないらしい。でも、この絵本が本当に好きで、毎晩眺めている。たぶん「なんだかよくわからないけど、スゲエ!」と思っているのだと思う。
「分からないけど、スゲエ!」という映画をたったひとつ選ぶとすれば、多くの人がこの映画を挙げるのではないだろうか。
スゲエものは圧倒的だ。意味が分かるとか分からないとか、ストーリー構成が…とか、主人公がこうなる必然性は…とか、そんなの関係なく、ただただスゴイ体験をしたなぁ、という気持ちだけ残る。
理屈や感情すらふっとぶ気持ちは恋に落ちるようなものかもしれない。
どれにも共通しているのは「これはこういう意味なんですよー」というような過剰な説明は一切無いということ。でも、恐ろしく緻密に、細心の注意を払って作られているのが分かるということ。
「分からないけど、スゲエ!」と思ってしまうものって何だろう、ということを考えていた。そういったものを作れるようになるには、どうすればいいのだろうと。
友達はそのような作品を作れる人は「神の視点」を持っているのだろう、と言っていた。そうか…そういえばそうだ。山や海や自然のものには元々「意味」なんか無い。でも、何だか心を動かされてしまう。
神のみわざ…自分にはまだまだ修行が必要だなぁと思った。